食器洗いが好き

私はそんなに好きじゃない。

世界には食洗機という文明があるらしい。

自分とは別の存在が、自分の目的のためにバックグラウンドで活動している、という状況が好きだ。
だからずっと自律型ロボットとかソフトウェアとかを作っているのかもしれない。私が見ていなくても動いていることに興奮する。

そう思うと、食器を洗いたくなる。バックグラウンドで。

本のカバー置き場

物理本を読んでいる間は、カバーや帯を外している。

カバーがついていると、本自体が持ちにくくなったり、カバーに傷が付いたりするからだ。

しかし、外したカバーはどのように保管するとよいだろうか。できるだけ気軽な方法を考え中である。

日記の刃を研ぎ澄ます

機会があると、過去に自分の書いた日記を読み返したりする。

日記には、当時考えた様々なことが残っている。その中で、人生に存在するいくつかの問題に挑んでいた。

3年前に血を吐きながら考えてたどり着いた結論は、今でも自分の軸になっている。

あのときいっぱい考えたから、今、全力投球できているんだなと分かった。

当時は生活にも困るくらい大変だったから、考えることでしか自己肯定できなかっただけかもしれない。でも、考えることにしたのは良い選択だったと思う。きっとこれからも読み返す機会があるだろうし、その度に当時の自分に感謝することになるだろう。

インパクトのある強い思想だって、ずっと考えていれば、それはいつの間にか習慣になって、無意識の海へ消えていく。しばらく経って、無意識の海から引き上げてみると、様子が変わっていたことに気づく。海の中にも色々あるのだろうか。

自然にされされて、鍛錬された思想は、3年前より鋭く僕に刺さるのだ。


胸に刃を受けた人間の最後のセリフは

「負けたくない」

速く歩く

私の歩く速度は速いほうだと思う。

移動時間は短ければ短いほど良いと思っている。そうなると、本当は走る方が良いのだが、距離カロリー効率が悪いし、考え事ができなくなってしまうから、できるだけ速く歩くことにしている。

姿勢を正して、足の回転を緩めないようにする。すると、不思議と頭が冴えてきて面白い。禅のような感じだろうか。


時折、とんでもなくゆっくり歩きたくなることがある。ゆっくり歩きたくなるというより、速く歩く気力がないと言ったほうが正確だろうか。

そんなときは、思い切りゆっくり歩いてみたり、立ち止まってみたりする。

立ち止まると、これがまた面白い。

前進したくなるのだ。