わかるようになりました。
これは素晴らしい。
エンジニアリングです。
わかります。
そういえば今日は桜を見ました。あったかいですね。
結論、上の歯を磨くときの力を若干弱めたほうが良さそうだった。
強く磨くと歯が綺麗なるという成功体験を幼い頃にしてしまったので、歯磨きは強ければ強いほうが良いと思っていた。 しかし、ここ数年で歯医者さんに、やさしく磨いてくださいと言われ続けていたので、最近はましになってきた。
あなたは頑張っているだろうか?
私は頑張っていない。
自転車に乗っているときだった。身体は疲れているし、空気は冷たすぎるし、気持ちも曇りだった。
信号待ちが終わって、前に進まなきゃいけないとき、気持ちの質量が100倍くらいになった気がした。相対的に身体が軽く感じさえした。
重すぎる気持ちにかかりっきりの意識は、唐突に口から出てきた「頑張れ」の言葉に驚く暇もなかった。
あなたは頑張れるだろうか?
私は頑張れる。
寒さで肺の隅々まで凍りつきそうだけど、太ももはもうこれ以上上げたくないと叫んでいるけど。「頑張れ」と言われたら背筋が伸びるし、力は籠もるのだ。 いつもより速く、遠くまで進めている自分を目の当たりにして、、、ため息が出た。
頑張っていなかった自分の様子が脳内を満たしたとき、目的地に到着した。
さて、やりたいことは山のようにある。頑張れ。
私が子供の頃は、大人は偉そうに見えていた。
自分の身の回りに何らかの事象が発生したとき、その事象から課題を取り出して、ここが問題だと言い、解決にはこれをすべきだと言う。
追いつけなかった。 私には問題に見えないものが指摘されるし、問題に見えていたとしてもその解決策が妥当なのか判断できない。 膨大な情報が一方的に私の中に流れ込んでくるので、大変だった。 だから、大人は偉そうなことを言ってくるということをぼんやり思っていた。
そんなことを考えていた頃から、もう少しの時間を生きると、いつの間にか何も思わなくなっていた。 偉そうな大人はどこに行ってしまったのだろう。
どうやら大人として生きるということは、もっと上手くやろうとすることらしい。
ある行動を評価し、それと比べてもっと上手い行動があれば、より上手くない行動は問題に見えるのだ。 だから、見渡す限り問題で溢れているんだなぁ。
それなら、子供の何気ない行動が問題に見えるのも分かるし、日頃から問題に対処し続けているから適切な解決策を持っているのも分かる。
毎日のように問題を見つけて、改善を求められ、解決しているなんて、「大人はすごいなぁ」。
私が子供の頃に気づいていたら褒めてあげるだろう。